abOut.nsf

新旧かまわず、またお役立ち度にあまりこだわらずに、 拡張子がnsfであるNoSQLなデータベースファイルと、それを扱うコラボレーション製品に絡んでのあれこれを。

タグ:Watson

コグニティブな連携って?~私の夢想 その1
その2
その3
その4
その5
その6

    ジョン・レノンの例え話というのは、記事に一言もそう書かれていなくても、ジョン・レノンの記事に「ビートルズ」というタグが付与されるという話。AIが類推して、関連するキーワードを拾ってくれ、索引やカテゴリに設定してくれるというものだった。

1997年の現地に着いたとき、それより未来の記事は消した、と申しました。だから時事DBには1997年7月より前の記事しか残ってないんだけど、でも、索引付けは変わってなかったんです。

索引は出かける前にこちらで作ったものだった。ということは、富士山とか三保の松原という記事をみて、2033年基準で「世界遺産」っていうタグ情報をWatsonのAIがくっつけてくれたままだったわけですね。

だからもし今後、過去に旅することがあれば、Watsonが索引付けに使う知識も旧い情報だけに絞っるような手立てが必要になるよ、というのが今回のちょっとした反省です。でもまあ短い期間でしたし、この程度で済んでよかったです。

え、向こうで何日、過ごしたか、ああ、何泊したのかというご質問でよろしいですか。はい。
3泊4日です。念のためいうと、現地でも、こちらから見ても3泊4日です。こちらの7月11日に出かけて、現地で3泊したあと、7月14日に戻りました。
現地で何泊しようと、例えば出かけた11日のうちに戻ることも可能なんですが。
それは、なんとなく…私自身も、自分の本来の時間に戻らないのは落ち着かないですし、
プロジェクト内でも経理処理上困るのではないか、という話になりました。
出かけた当日に戻ってしまうと、現在から見れば1泊もしてないコトになります。
それではその期間の勤務報告書がどこにもつけられなくなってしまうと。
そうすると、タイムトラベルの期間は、勤務上はタダ働きにされてしまうわけですよ。

なので、行って戻ってくるのに要した同じ時間分できっちり戻ってきて、つじつまを合わせました。
それで、部門内の勤務報告上は4日間の出張扱いでオーケーでした。

でも、出張費の精算ではちょっと面倒がありました。
経理が、宿泊したなら、宿の領収書があるかというので、そういえばチェックアウトの時に貰ったものを出しましたが、怪訝な顔をされまして。
…領収書には「1997(平成9)年7月」って日付が書かれてたんですね。
事情を説明しても、今年のじゃないと通せないと怒られました(笑)

今回のプロジェクトを承認した役員から経理に話して貰って、なんとか通して貰えたときいています。監査が入ったら説明がつかないと、かなり渋られたそうです。

そんな事もあって、会社の関係者で、本当に私が過去に行ってきたのかと現在の軽井沢に調べに行った人もいました。
泊まった宿は、もう子どもの代に代わっていて、でも今もまだ営業しているそうです。当時住み込みのバイトだった静岡や関西の子のことは、当時子どもだった今の経営者がかすかに覚えているくらいで、もう知る人は見当たらなかったそう。

私には、まだ向こうでの記憶が新鮮なので、そういわれてもなんとなく胸に落ちないんですが。

先日、その人が軽井沢から戻ってきて、私を訪ねてきました。そして聞くんです。あなたは昔の軽井沢で、何か書きものは残さなかったのかと。
「書きもの?」と聞くと、例えば思い出を宿のノートに書いたりはしなかったかと。
そういえば、宿には思い出ノートというのが置いてあったのですが、とくに自分はなにも書きませんでした。そう伝えるとガッカリして、そうか、この中にあなたが書いたものが残ってれば何か証拠になるのではと、宿からそのころの日付のノートを借りてきたのだが、無駄だったね。
取り出して見せたのは、その思い出ノートです。
「わあ見覚えあります。こないだ見たときは、もっときれいなノートだったのに
 ただ、僕は何も書かなかったんですよ」
「そうですか、残念」としまおうとするその時、ちょっと頭で一瞬稲光りが走りました。
「ちょっと待って!」と、押しとどめると、
自分の机の中から、ファイルに入った一枚の紙を取り出して、それからノートのページをめくりました。
私が持っていた紙は、温泉とバス停と、それを結ぶ線上に、カタツムリの絵がある、関西の子が描いてくれた絵地図です。
「あった、ここだ」
ノートの途中にページを破いた跡が残っていて、私の絵地図をそっと重ねると、破れ目がぴたりと一致しました。
絵地図の方は紙がまだ白く新しく、ノートの方は33年分を経て少し茶色く変色しています。だのに破れ目が合っているのをみて、会社の人が、持ってきてよかったといいながら、私の手を握りました。
私もその時初めて歳月を経過を目の前にした気がしてじんときましたね。

    講師はここで少し間を置いて、そこで初めて場内の時計に目をやった。
    時計が示してるのは、33年の歳月とは紐づかなそうな、ほんのわずかな経過にすぎないけど。

さて、もう少し現地であった人とか、出来事とかのエピソードお話できればよかったんですが、時間が来てしまいましたね。続きはこのあとよろしければ「反省会」でお話しますので。

そういえば軽井沢の宿の談話室にも、夜になると「さあ反省会だ」っていい出す常連さんがいて…、「反省会」っていえばアルコールが出てくるのは、昔も今も同じみたいです。

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「静岡なんて田舎だけど富士山だけはよく見えたよ」
「まわりは茶畑だらけ、とか?」と、これは友達の子
「ううん海側。ちょっといくと港があってね。。」
私がすかさず
「じゃあ清水とか焼津とか」
と返します。
「清水なんです、よく知ってますねぇ」
ここで関西の子が
「あの辺って三保の松原あるでしょ」
「そう!」
「あそこなら行ったことある、あたしがいった時は天気良かったのに、あんまりひとけ無かったなぁ」
というので、
「世界遺産なのに?」

と返しました。ここで、2人ともきょとんとします。

「まあ世界遺産だからって、毎日人が来るとは限らないか」
でも、そういうことではなかったようです。
一瞬、しーんと沈黙が流れたあと。

「そうだっけ?」関西の子が静岡の子に聞きます。
「まさか、ないないないない、富士山だって無理だっていわれてるのに」
「何が」と聞くと
「だって世界遺産だなんて」と、笑っています

しかし、そのことは時事DBに載っていたんです、ここは自信を持って
「富士山と一緒に世界遺産になったと思うよ」私が続けると
「富士山なんかゴミだらけで無理って云われてるじゃない、知らないの?」

知らないの、と聞かれれてこちらはドキッとします。

ここにいたってようやく、「二人とも富士山や三保の松原が世界遺産であることを知らない」ことに気づきました。いや知らないどころか世界遺産ではないと思っているようです。

あれ、どうしてだろう?

こちらが考え込んでいるうちに、女の子二人の話題がサッカーのことに移っていました。
今思えば、話題がころっと変わったことで、変な言い訳をしなくて済みました。

後でわかったんですが、富士山や三保の松原は、1997 年当時は世界遺産じゃなかったんです。後になってこっちの時代に戻ってから調べてみると、ずっとあと、2013年に世界文化遺産になったそうです。
実はその前には自然遺産として登録しようとしていたけど当時はゴミだらけの山で、自然遺産は無理だろうと。

でも、どうしてだろう?

というのは、前の晩に、部屋にこもって、Notesの時事DBで予習した私は、
三保の松原の記事を「世界遺産」というタグから拾っているんです。「中部地方の世界遺産」っていうカテゴリを開いたら出てきたんだったかな。
そこには富士山の記事も並んでいたので、安心して話題にしたのです。
繰り返しますが、1997年7月より後の記事は、あらかじめ時事DBから削除してあるんです。

これ、実際の画面ですが

検索画面で「静岡&世界遺産」といれたところです。

ほら、これが実際のNotesの画面だけど、ここを開いたのかもしれませんね。

あとでわかったのはこう云うことです。


時事DBそのものは、旅立つ前にこちらで用意したものでした。
Notesのバージョンは低いように見せかけて、実際に裏OSの最新サーバーに入っている各DBにはWatsonに作らせた索引とカテゴライズが入っています。

今では決して新しい機能ではないのですが、1997年のNotesにはなかった自然言語処理による索引とカテゴライズが付加されていました。今さら感がある方には恐縮ですが、もう一度説明しますね。先程ジョン・レノンの例え話をしたあの機能です。

つづく

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    出かける前の話が長々と続いたが、ようやく現地での話しになった。スクリーンに映された写真では、3人の背後に火山っぽい茶色い地肌の山。

後ろに山が写っていますが、宿の近くから眺められる浅間山です。私が行ってきた先は1997年の軽井沢です。

ただ、はじめから軽井沢に向かったわけではありません。
装置がたどり着いたのは群馬県内の、とある集落近くの森の中になります。2026年ごろに再発見された小さな洞穴の中です。元々は、90年前の戦時中に、防空壕として、掘られたか広げられた穴らしい。それが集落の過疎化とともに、地元でも忘れられていて、平成の当時は誰も知る人が居ない場所でした。装置・・いわゆるタイムマシンは、絶対に誰にも発見される心配がない場所に置いておきたかったので、ここがうってつけだろうと、装置の目的地に設定された次第です。こうした穴は不用意に入っては危険なので、あらかじめ無人調査してありました。つまり装置にカメラなどを載せて一度無人のまま1997年の洞穴まで行ってきてもらってあったわけです。自分が行く段になって、念のために酸素マスクを用意してましたけど、使わずにすみました。

洞穴のある森の集落から近くの駅まで下り、当時の在来線に乗って軽井沢に向かいます。

なぜ行く先を東京などにしなかったかと云えば、街の真ん中で突然未来から現れたら、目立ちます(笑)。まずは、装置を完全に隠せる場所を都会で見つけるのは難しかったからです。それに、うっかり過去の自分の知り合いと会うのは避けたかった。97年当時の私自身は、まだ小学校に上がってないころなんですが、私の親とか、親の知り合いとか、自分が将来世話になる誰彼を見つけてあっと慌てる、なんて状況はなんとなく避けたかった。
未来への影響はわからないけど、旅人の「知り合い」「関係者」とのコンタクトはなるたけ控えようというチームでの合意もありました。

都会は避けて、でもあまり山の中すぎても当時の人とふれあえる範囲がせばまってしまう、でも、近くの軽井沢まで移動すれば、地元だけでなくいろんな人がいる点も好都合でした。

バスに乗るほどでもなかったので田舎道をくだって信越線に乗りました。切符売り場でおそるおそる当時の1万円札を財布から出して、自動販売機に入れました。

この頃の軽井沢には、まだ新幹線では行けません、開通するのはこの年の秋です。
当時のメインルートは今回乗車した在来線です、私が行った3か月後に廃止されてしまうんですが、当時、群馬側から軽井沢に入るには、一つ手前の横川という駅から電気機関車に押したり引っ張ってもらったりして急勾配のトンネルをいくつか抜けるんです。
横川の駅をでるときが印象的でした。ホームにやたらお弁当屋さんが居るなと思ったら、あとで知ったんですが、当時は釜飯といえばこの駅だったそうです。そのお弁当やさんたちが、発車の時に一斉にこちらに向かって一礼するんです。
あのお辞儀にしみじみしてしまいましてね。来てよかった、ついでに釜飯買っておけばよかったなあ、と。

それからまだ工事中の軽井沢駅で降りて、観光案内所であいている宿を教えてもらいました。

    講師の視線がスクリーンの写真に戻り

この子たちは東京の学生で、毎年夏休みのアルバイトで宿の仕事をしてたんです。
こちらの子は関西出身・・京都か奈良か忘れましたが・・さっき、地震の後の神戸を見てきた人に会ったと云ったのはこの子です。もうひとりのこちらの子は静岡だそうです。

最初の夜は用心して、必要最小限のことしか喋らないようにしていましたが、ただ黙りこくって過ごすために過去に旅してきた訳じゃありません。
ネタ帳である時事DBでこの頃のニュースや話題をおさらいしたときに、
たまたま地域情報のページが目に留まりました。
女の子たちは静岡と関西って云ってたっけ、
Notesは見た目のバージョンは古いのですが、実体が裏OSのサーバーにあるので、今時の索引が付いています。検索語がカテゴライズされた「索引ビュー」で「京都」とか「静岡」を調べれば、共通の話題を探せるかも

なんてNotesの中にある事典を前の晩に部屋でチェックしたり。別に京都や静岡に詳しい必要はないんですよ、やたら詳しくてもおかしいですから。ただ当時の人たちが静岡と云われてふつうに知ってそうなこと、今の僕らには歴史になってしまったことを何となく押さえておけばいい。たとえば当時静岡にあった2つのサッカーチームの名前とか、現存してますけど今はリーグが違いますよね。当時はJ2とか無かったですけど。

ネタを仕込んだ後、宿の談話室では、まずは話のキッカケにと、明日温泉に行きたいんだけど、と相談しました。軽井沢のことはよく知らないんだけど、そばに火山があるなら温泉もあるんですか?
と聞くと、ありますよ、と関西の子が反応して、少し旧いけど、中軽井沢から山間に向かったところにいくつかあります。えーと星野温泉とか・・お車でしたっけ?

この時代の免許証を持っていない私は当然車も使えません。

いや、バスとかでいけますか?と聞くと

ちょっと待ってください、地図描きますね、
と、隣にあったノートのページをびりびりと破りとって、バス停までの道のりと温泉への、イラスト入りの略図を書いてくれます。
バスのルートの脇に、カタツムリに車輪がついた絵を書き加えてるのを見て、
これは何?と尋ねると、
「星野温泉に行くバスが、かたつむりバスっていうんですよ、それに乗ってください」

と、後ろでお皿を拭いていた静岡の子が急に笑いだしました。
「ばか、テントウムシだよ!」「え? あーっ!」
実際には「てんとうむしバス」という愛称のバスが当時走ってたんです。今では無いらしいです。
勘違いに気づいた関西の子がカタツムリをテントウムシに描き直そうとするのを、いいよいいよと抑えましたが
「まあ確かに、カタツムリじゃあ運転速度が心配だよね」
それでこの子たちとの会話が少しほぐれました。
「あー、またそれ破いちゃったの?」
と、静岡の子が言うのでよく見ると、関西の子が破いたノートには、表紙に「思い出ノート」のVolいくつ、と書かれていて、泊まった客が感想なんかを書くためのノートでした。
その、空いてるページが破かれて、私のための地図になってしまったというわけです。
「いいっていいって、お父さんにいわれたら、ヒロ君が破いちゃったって云っといて」
宿のマスターのことをスタッフがお父さんと呼んでたんです。ヒロ君というのはその子どもです。
「あたしにはできないなあ」
「でも折角ですので地図は使わせてもらいます」
「カタツムリじゃないけどね」(笑)

仕事を終えた静岡の子と、他の客も出たり入ったりするなか雑談、震災の話はこの時に関西の子から聞きました。こちらも、さっきNotesのデータベースで仕入れた、にわか仕込みの知識を交えつつ何とか話を合わせます。

うまく合わせてるつもりだったんですが・・

つづく

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さて、それで先ほどお見せしたノートパソコンです。

云いましたっけ、見た目が古いパソコンを用意したのは、うっかり現地の人に見られても怪しまれないためです。ただ、古い機種のほんとうにそのままでは…当時のパソコンに入れられるデータの量って、今の私たちの感覚からするとあまりに少ないわけです。チームとしても、いざというとき確認できる情報が充分でないと困るので、内部的には「未来のスペック」が隠れていて、実際には2テラバイト程度のデータを入れられるようにしました。

2つ入ってるOSのうち、古い「表OS」には、当時のバージョンの「Lotus Notes」が入っています。
Notesはご存知ですか?見たことがない人は…かなり乱暴な言い方なんですが、いったんは、ネット上の掲示板やブログなどを想像してください。
タイトルが並んでいる中から、選択したら中身の文章が表示されるという類です。メールを想像していただいてもいいです。

Notesは、いわゆるご長寿ソフトのひとつですね。最初に出たのは1989年、日本語版は去年で40周年だったかな。ありがたいことに、過去のバージョンとも、けっこうデータの互換性があるんです。
さすがに、今のDominoサーバーと直接つなぐには若干細工が要ったと担当からは聞いていますが。

長い歴史の間に、デバイスを選ばす利用できるようになったとか、人工知能と標準連携しているとか、いろいろ機能拡張されています。
当時のNotesはパソコンからしか使えなかったんですが、つくりや考え方は一貫しているので、昔のものも、すぐ使いこなせます。

見た目は当時のパソコンなので、ふつうに立ち上げる分には、こんな画面…今の感覚だとずいぶん画像が粗いです。

「表OS」は昔のパソコンでも、「裏OS」は今のサーバーです。2テラの大半は裏OSが使用しています。データは裏OSのサーバー側にあるので、アクセスしているDBは現代のスペックなんですが、表面上はわからない。
現地でパソコンを使っているところを、うっかり人に見られてもごまかしが利くわけです。

Notesでどんなデータが見られるようになっていたか。
メインは、現地に行って帰ってくるための、装置…まあ「タイムマシン」と言って良いのでしょうか。その詳細な取扱説明書などです。単なる操作方法の他に、非常時のための、故障したら最悪自分で調整するためのガイドなども入っていました。それからプロジェクトで決めた議事録類とかの旅のルール・ガイドラインの細かなものなど、今回お話ししている「ばれない、怪しまれない、波風立てない」のために合意した、細かな決め事もココに記されていました。いずれも、紙で所持して、万一他人に見られてはまずいものです。

これら多くのDBは必要がない限り、行き帰りの無人空間でしか開かないように、万一何かの事故で帰れない状況になっても、現地の人前で開かないようにと固く固く約束させられていました。
ただNotesのデータは「裏OS」のサーバーに入っていますが、あくまで「表OS」の古い画面から覗くようになってますから、万一見られても、よほど詳しい人に見られるのでない限りは、現地の人にも怪しまれないと思います。

あと、持ち込んだ古いビデオカメラの取り扱い説明書を添付したDBもあります。ビデオカメラ自体は昔の機種なので、取説を紙で持って行っても本当は問題ないんですよ。ただ、2033年の現在には、昔の取説をデータ化したものが残っているだけで、元の紙の取説自体がもう残ってなかったんです。

ほかにチームではこんなことも考えました。
無知な旅人である私のためのネタ帳も入れておこう。
この時代を予習するための虎の巻を用意しておこう。百科事典であり歴史事典であり、当時の流行とかまでが詰まっているもの。
時事情報アプリデータベース、略して「時事DB」と呼んでいました。
ほかのデータ同様、裏OSのサーバー側に入っていて、表向きは古いNotesの画面から見ることができます。

先にお話ししたように、私が選ばれたのは「歴史に弱い」のがポイントです。
とはいえ当時のことを全くなにも知らないのも問題です。
例えば、みなさんは「阪神大震災」が何年だったかご存じですか?
私が行ってきた1997年よりも・・前だったと思う方、手を挙げてみてください。
はい、では、97年よりも、後だったと思う方。何名かいらっしゃいますね。答えは1995年、2年前です。
たった2年前ですから、復興もまだはじめのほうで、現地の人にとっては生々しい。向こうでは信州に滞在していたんですが、そこで泊まった宿で働いていた女の子は震災後の神戸を見てきたと言っていました。

さっき後の方に手を挙げた方、現地では怪しまれますよ。
あと、手をあげなかった方もけっこう居られましたけど、そちらの方はどうして?

そうですよね「阪神大震災」そのものを知らない、じつは私も歴史は不勉強だったので、西日本の方に怒られそうですけど「阪神大震災」私も覚えてなかったんです。その意味では怪しまれかねない人間のひとりでした。

そこで、プロジェクトのメンバーから「今は行く準備で頭がいっぱいだろうから、現地に無事着いてからでいい。夜にでもこれを見ておくように」と時事DBの説明を受けていました。

出かける前は装置操作をマスターするのが優先、もっぱら装置の取扱説明書、運行マニュアルばかり見ていました。
時事DBを見て、歴史やもろもろを付け焼刃で頭に入れたのは現地に着いてからです。

軽井沢のひとり部屋でパソコンを開いて、時事DBを軽くチェックしていました。まずはメンバーが「重要」ってタグ付けした記事や読み物から。Notesでは「フォルダ」というんですけど、「阪神大震災」のこともここに入っていました。
念のため、時事DBでは1997年よりも未来の出来事はカットしてあります。これは先刻からお話ししている用心のためですね。DBに書かれていないことは、この時代に居る限り、知りようがないし、たとえ知っていてもうっかり喋らないように注意しました。

サーバー側にあるので、時事DBには、今風の索引がついています。
ありがちな例ですが、「ビートルズ」で検索したら、その中に「ジョン・レノン」の記事があった。でも、その記事はビートルズ解散後のことを書いたもので、その記事のどこにも「ビートルズ」の文字はなかった、
AIが類推して、ジョン・レノンの記事にはビートルズのタグをつけてくれているからです。
データが「裏OS」の今どきサーバーに入っているおかげで、昔のままのNotesではできない検索ができます。
これは調べ物には役立ったんですが、ちょっとした失敗もありました、この話はあとで。

年別に起きたこと、流行、みんなNotesの時事DBに入れておこう。無事に過去にたどり着いたら、ためてある情報のうち、現地の日付より後の情報は削除しておけばよい。

装置の時間精度には多少の誤差はあるので、到達先の現地の年月は1996年から98年にかけてと予想していました。
時事DBには念のために2010年ぐらいまでの、新聞・インターネット・事典・雑誌の類から集めた情報が詰め込んでありました。

でも現地で、パソコンをいちいち開いて、ああDBに載ってる、この時代に、この話をしても大丈夫だ、確認しながら相手を向いて話をする、なんてわけにはゆかないでしょう?

とくに、到着した最初の日は、人と話すときに余計なことを云わないように気をつけました。なぜかといえばまだ時事DBを一度も見ていなかったからです。
夜に部屋でパソコンを開いてお勉強…高校時代の一夜漬けみたいですね。
現地の人に後で云われたんですが、私の第一印象は、「おとなしい人、寡黙な人」だったそうです!

    にんまりしたり冷やかしたりするのは、講師と知り合いの常連たちらしい。

現地に到着して最初の夜に行ったのは、今は97年の7月何日だな、と確認してから、Notesを開いて、時事DBには、記事などの年月別のビューがありますから、そこから、たどり着いた今日よりも後の記事は全部削除することでした。
これで、もうこのDBには書かれていないことを不用意に喋らないようにさえ注意すればいい、たとえば未来のニュースをうっかり喋ってしまうなんてことは避けられるわけです。


話を戻しますが、ともかくそんな経緯で、私は、携帯は持ってないけどノートパソコンはリュックに入れている、という状態で、あと、当時のお金を財布に入れて。
冷静に出来たとは思うんですが、内心ドキドキしながら装置を慎重に慎重に動かして、今日は詳しく話しませんが、けっこうあっけなく、1997年当時のとある山の中に降り立ちました。

いい加減、向こうでの様子を見せろって顔を皆さんされてますよね。では。

    正面のスクリーンには現地で撮ったと思われる写真。山を背景にして、若い女の子2人と講師のスリーショット。こころなしか講師の細い目がにやけ気味に思える。

現地の宿で働いていた女の子2人です。個人的にはそれぞれ個性があってかわいらしい子だったと思います…ただし、36年前の女子です、今では60ちかいお姉さんのはずです。
そういう現実はいったん忘れてください(笑)。

つづく

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その2

現地の人たちと最低限のコンタクトは行って成果として持ち帰りたい、でも、なるだけ現地で余計な波風は立てない、目立たないこと。「普通の人で通すこと」。ばれないまでも、ヘンな人、怪しい人だなと思われるような言動をしてしまわないよう気をつける。

装置が短時間の無人試験を繰り返していた段階では、どの年代へ向かうか、まだ決まってなかったんです。装置性能のせいもあるけど、いきなり未来へ行くのはやめとこう、見当がつかなくてこわいから(笑)と、過去へ向かうことだけ何となく合意されていました。
また、「あなたが行ってこい」と、旅するのが私になることは、けっこう早い段階でみんなから云われていました。

私が旅人に選ばれてしまった理由ですが、プロジェクトを進めている場所が日本なので、行く先も日本が自然。となると、まずは日本人であるほうが無難だろう。多国籍チームでしたが、担当役員を除いて日本人社員は3人いまして、うちひとりは、子育て中の女性でした。
残る2人のうち、私の方が「歴史に弱い」のがひとつのポイントでした。
私は理系人間で、人文歴史系が得意ではない、それにニュースにも疎くて、芸能とか音楽とかもあんまり知らない、興味がそんなにわかない。そこだけピックアップすると我ながらつまんない人間ですね(笑)。ところがそこが強みになりました。知らなければ、現地でうっかり、これから起きる未来の歴史を喋ってしまったりする危険が少ないわけです。
しかも、もうひとりは、たとえ人前でも無意識に鼻唄が出る男なんですよ。無作為にいろんな歌が出てくる・・一度本人に聞いてみたことがあるんですけど、いつのどんな曲が出てくるかは本人にも予想できてないらしい。ということは、現地で、当時はまだ生まれてもいない未来のヒット曲を、うっかり口ずさんでしまう危険が、非常に高い。よろしくないだろうと。彼は「旅人失格」になってしまいました(笑)。

さて、いつの時代へ旅するか。10年前か100年前か。

装置の現時点の性能ですと、500年、1,000年の昔に旅するなんてのはちょっと危険です。せいぜい90年か100年だろう。
で、100年前といえば昭和の初めです。戦争前で軍国主義の時代で、価値観考え方が当時の人たちとズレてしまい、あぶないのでは。そもそも生活感覚みたいなものそうとう違うだろう・・こうした遠い時代へゆくのは、避けた方が安全そうだ。
いや、50年前だって、けっこう今とは、価値観、感性、違うんじゃないの?「現地でお前と同い年の人たちは、今のお前の祖父母の世代になるよね。」

とにかく、わざわざ遠い時代を目指すメリットは薄そうだと。

さらに、パソコンを持ち込むことに決まって、それがまだ無い昔は避けることになりました、パソコンに入れることができた、昔のオフィスソフトや「Lotus Notes」が発売されたのより後の時代に絞られました。

かといって、あまり近い過去では報告に説得力がなくなります。
どこまで時代を遡ろうか、と、いろいろな要因を検討しました。

ほんの小さな一例ですが、絞り込み要因の1つとして、ケータイがあります。
持ってゆけないからですよ。

まず、こちらの時代で現在手に入る携帯を、向こうにもってゆくのはダメ。当時の古い機種であってもダメです。というのは、機種に関わらず、今の時代に登録された電話番号をそのまま過去の時代で使えませんよね。

代わりに、現地で携帯電話を買うのはどうか?

しかし昔も今も、お店で手続きの際には、免許証など身分証の提示を求められます、もちろん私は、現代の電子化された身分証しか持ちあわせていません。
ゆえに買おうにも買えないんですね、レンタルも無理だと思います。
だから、現地で携帯は持たずに過ごそう、となった。

こちらの時代では、今どき、中学生以上で、そういうデバイスを何も持っていない人は、まずいないですよね。現代の感覚だと「私持っていません」なんて人が居たら「変わってるね」どころか、
普通の人のカテゴリからズレた印象を与えそうです。

携帯、持ってなくても不自然に取られないのはいつぐらいからかな?
10年、15年前・・いや20年前でも、この年代の大人は携帯くらい持っているでしょう、でも25年、30年前なら、ずいぶん普及率が下がって、私は持っていないと言っても誰も怪しまないだろう。

こと、「携帯を持たないこと」に関しては、四半世紀以上前がよさそうだなとなりました。

こんな感じでいろんな要因の、いい・悪い、許容できる・できない…を検討し、20世紀の終わりころがターゲットに設定されました。


つづく

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