コグニティブな連携って?~私の夢想 その1
その2
その3
その4


    出かける前の話が長々と続いたが、ようやく現地での話しになった。スクリーンに映された写真では、3人の背後に火山っぽい茶色い地肌の山。

後ろに山が写っていますが、宿の近くから眺められる浅間山です。私が行ってきた先は1997年の軽井沢です。

ただ、はじめから軽井沢に向かったわけではありません。
装置がたどり着いたのは群馬県内の、とある集落近くの森の中になります。2026年ごろに再発見された小さな洞穴の中です。元々は、90年前の戦時中に、防空壕として、掘られたか広げられた穴らしい。それが集落の過疎化とともに、地元でも忘れられていて、平成の当時は誰も知る人が居ない場所でした。装置・・いわゆるタイムマシンは、絶対に誰にも発見される心配がない場所に置いておきたかったので、ここがうってつけだろうと、装置の目的地に設定された次第です。こうした穴は不用意に入っては危険なので、あらかじめ無人調査してありました。つまり装置にカメラなどを載せて一度無人のまま1997年の洞穴まで行ってきてもらってあったわけです。自分が行く段になって、念のために酸素マスクを用意してましたけど、使わずにすみました。

洞穴のある森の集落から近くの駅まで下り、当時の在来線に乗って軽井沢に向かいます。

なぜ行く先を東京などにしなかったかと云えば、街の真ん中で突然未来から現れたら、目立ちます(笑)。まずは、装置を完全に隠せる場所を都会で見つけるのは難しかったからです。それに、うっかり過去の自分の知り合いと会うのは避けたかった。97年当時の私自身は、まだ小学校に上がってないころなんですが、私の親とか、親の知り合いとか、自分が将来世話になる誰彼を見つけてあっと慌てる、なんて状況はなんとなく避けたかった。
未来への影響はわからないけど、旅人の「知り合い」「関係者」とのコンタクトはなるたけ控えようというチームでの合意もありました。

都会は避けて、でもあまり山の中すぎても当時の人とふれあえる範囲がせばまってしまう、でも、近くの軽井沢まで移動すれば、地元だけでなくいろんな人がいる点も好都合でした。

バスに乗るほどでもなかったので田舎道をくだって信越線に乗りました。切符売り場でおそるおそる当時の1万円札を財布から出して、自動販売機に入れました。

この頃の軽井沢には、まだ新幹線では行けません、開通するのはこの年の秋です。
当時のメインルートは今回乗車した在来線です、私が行った3か月後に廃止されてしまうんですが、当時、群馬側から軽井沢に入るには、一つ手前の横川という駅から電気機関車に押したり引っ張ってもらったりして急勾配のトンネルをいくつか抜けるんです。
横川の駅をでるときが印象的でした。ホームにやたらお弁当屋さんが居るなと思ったら、あとで知ったんですが、当時は釜飯といえばこの駅だったそうです。そのお弁当やさんたちが、発車の時に一斉にこちらに向かって一礼するんです。
あのお辞儀にしみじみしてしまいましてね。来てよかった、ついでに釜飯買っておけばよかったなあ、と。

それからまだ工事中の軽井沢駅で降りて、観光案内所であいている宿を教えてもらいました。

    講師の視線がスクリーンの写真に戻り

この子たちは東京の学生で、毎年夏休みのアルバイトで宿の仕事をしてたんです。
こちらの子は関西出身・・京都か奈良か忘れましたが・・さっき、地震の後の神戸を見てきた人に会ったと云ったのはこの子です。もうひとりのこちらの子は静岡だそうです。

最初の夜は用心して、必要最小限のことしか喋らないようにしていましたが、ただ黙りこくって過ごすために過去に旅してきた訳じゃありません。
ネタ帳である時事DBでこの頃のニュースや話題をおさらいしたときに、
たまたま地域情報のページが目に留まりました。
女の子たちは静岡と関西って云ってたっけ、
Notesは見た目のバージョンは古いのですが、実体が裏OSのサーバーにあるので、今時の索引が付いています。検索語がカテゴライズされた「索引ビュー」で「京都」とか「静岡」を調べれば、共通の話題を探せるかも

なんてNotesの中にある事典を前の晩に部屋でチェックしたり。別に京都や静岡に詳しい必要はないんですよ、やたら詳しくてもおかしいですから。ただ当時の人たちが静岡と云われてふつうに知ってそうなこと、今の僕らには歴史になってしまったことを何となく押さえておけばいい。たとえば当時静岡にあった2つのサッカーチームの名前とか、現存してますけど今はリーグが違いますよね。当時はJ2とか無かったですけど。

ネタを仕込んだ後、宿の談話室では、まずは話のキッカケにと、明日温泉に行きたいんだけど、と相談しました。軽井沢のことはよく知らないんだけど、そばに火山があるなら温泉もあるんですか?
と聞くと、ありますよ、と関西の子が反応して、少し旧いけど、中軽井沢から山間に向かったところにいくつかあります。えーと星野温泉とか・・お車でしたっけ?

この時代の免許証を持っていない私は当然車も使えません。

いや、バスとかでいけますか?と聞くと

ちょっと待ってください、地図描きますね、
と、隣にあったノートのページをびりびりと破りとって、バス停までの道のりと温泉への、イラスト入りの略図を書いてくれます。
バスのルートの脇に、カタツムリに車輪がついた絵を書き加えてるのを見て、
これは何?と尋ねると、
「星野温泉に行くバスが、かたつむりバスっていうんですよ、それに乗ってください」

と、後ろでお皿を拭いていた静岡の子が急に笑いだしました。
「ばか、テントウムシだよ!」「え? あーっ!」
実際には「てんとうむしバス」という愛称のバスが当時走ってたんです。今では無いらしいです。
勘違いに気づいた関西の子がカタツムリをテントウムシに描き直そうとするのを、いいよいいよと抑えましたが
「まあ確かに、カタツムリじゃあ運転速度が心配だよね」
それでこの子たちとの会話が少しほぐれました。
「あー、またそれ破いちゃったの?」
と、静岡の子が言うのでよく見ると、関西の子が破いたノートには、表紙に「思い出ノート」のVolいくつ、と書かれていて、泊まった客が感想なんかを書くためのノートでした。
その、空いてるページが破かれて、私のための地図になってしまったというわけです。
「いいっていいって、お父さんにいわれたら、ヒロ君が破いちゃったって云っといて」
宿のマスターのことをスタッフがお父さんと呼んでたんです。ヒロ君というのはその子どもです。
「あたしにはできないなあ」
「でも折角ですので地図は使わせてもらいます」
「カタツムリじゃないけどね」(笑)

仕事を終えた静岡の子と、他の客も出たり入ったりするなか雑談、震災の話はこの時に関西の子から聞きました。こちらも、さっきNotesのデータベースで仕入れた、にわか仕込みの知識を交えつつ何とか話を合わせます。

うまく合わせてるつもりだったんですが・・

つづく