abOut.nsf

新旧かまわず、またお役立ち度にあまりこだわらずに、 拡張子がnsfであるNoSQLなデータベースファイルと、それを扱うコラボレーション製品に絡んでのあれこれを。

2017/07

コグニティブな連携って?~私の夢想 その1
その2

現地の人たちと最低限のコンタクトは行って成果として持ち帰りたい、でも、なるだけ現地で余計な波風は立てない、目立たないこと。「普通の人で通すこと」。ばれないまでも、ヘンな人、怪しい人だなと思われるような言動をしてしまわないよう気をつける。

装置が短時間の無人試験を繰り返していた段階では、どの年代へ向かうか、まだ決まってなかったんです。装置性能のせいもあるけど、いきなり未来へ行くのはやめとこう、見当がつかなくてこわいから(笑)と、過去へ向かうことだけ何となく合意されていました。
また、「あなたが行ってこい」と、旅するのが私になることは、けっこう早い段階でみんなから云われていました。

私が旅人に選ばれてしまった理由ですが、プロジェクトを進めている場所が日本なので、行く先も日本が自然。となると、まずは日本人であるほうが無難だろう。多国籍チームでしたが、担当役員を除いて日本人社員は3人いまして、うちひとりは、子育て中の女性でした。
残る2人のうち、私の方が「歴史に弱い」のがひとつのポイントでした。
私は理系人間で、人文歴史系が得意ではない、それにニュースにも疎くて、芸能とか音楽とかもあんまり知らない、興味がそんなにわかない。そこだけピックアップすると我ながらつまんない人間ですね(笑)。ところがそこが強みになりました。知らなければ、現地でうっかり、これから起きる未来の歴史を喋ってしまったりする危険が少ないわけです。
しかも、もうひとりは、たとえ人前でも無意識に鼻唄が出る男なんですよ。無作為にいろんな歌が出てくる・・一度本人に聞いてみたことがあるんですけど、いつのどんな曲が出てくるかは本人にも予想できてないらしい。ということは、現地で、当時はまだ生まれてもいない未来のヒット曲を、うっかり口ずさんでしまう危険が、非常に高い。よろしくないだろうと。彼は「旅人失格」になってしまいました(笑)。

さて、いつの時代へ旅するか。10年前か100年前か。

装置の現時点の性能ですと、500年、1,000年の昔に旅するなんてのはちょっと危険です。せいぜい90年か100年だろう。
で、100年前といえば昭和の初めです。戦争前で軍国主義の時代で、価値観考え方が当時の人たちとズレてしまい、あぶないのでは。そもそも生活感覚みたいなものそうとう違うだろう・・こうした遠い時代へゆくのは、避けた方が安全そうだ。
いや、50年前だって、けっこう今とは、価値観、感性、違うんじゃないの?「現地でお前と同い年の人たちは、今のお前の祖父母の世代になるよね。」

とにかく、わざわざ遠い時代を目指すメリットは薄そうだと。

さらに、パソコンを持ち込むことに決まって、それがまだ無い昔は避けることになりました、パソコンに入れることができた、昔のオフィスソフトや「Lotus Notes」が発売されたのより後の時代に絞られました。

かといって、あまり近い過去では報告に説得力がなくなります。
どこまで時代を遡ろうか、と、いろいろな要因を検討しました。

ほんの小さな一例ですが、絞り込み要因の1つとして、ケータイがあります。
持ってゆけないからですよ。

まず、こちらの時代で現在手に入る携帯を、向こうにもってゆくのはダメ。当時の古い機種であってもダメです。というのは、機種に関わらず、今の時代に登録された電話番号をそのまま過去の時代で使えませんよね。

代わりに、現地で携帯電話を買うのはどうか?

しかし昔も今も、お店で手続きの際には、免許証など身分証の提示を求められます、もちろん私は、現代の電子化された身分証しか持ちあわせていません。
ゆえに買おうにも買えないんですね、レンタルも無理だと思います。
だから、現地で携帯は持たずに過ごそう、となった。

こちらの時代では、今どき、中学生以上で、そういうデバイスを何も持っていない人は、まずいないですよね。現代の感覚だと「私持っていません」なんて人が居たら「変わってるね」どころか、
普通の人のカテゴリからズレた印象を与えそうです。

携帯、持ってなくても不自然に取られないのはいつぐらいからかな?
10年、15年前・・いや20年前でも、この年代の大人は携帯くらい持っているでしょう、でも25年、30年前なら、ずいぶん普及率が下がって、私は持っていないと言っても誰も怪しまないだろう。

こと、「携帯を持たないこと」に関しては、四半世紀以上前がよさそうだなとなりました。

こんな感じでいろんな要因の、いい・悪い、許容できる・できない…を検討し、20世紀の終わりころがターゲットに設定されました。


つづく

コグニティブな連携って?~私の夢想 その1

パソコンは1996年モデルです。
あー、気づいた方居られますね。そう。ここに「IBM」ってロゴがあります。
なんと当時は、IBMがパソコンを作って売っていたんです。

    へーえ!と目を丸くしてる人ちらほら。
    逆に、物知り顔でうなずく面々も。

ご存じない方けっこういますねえ。そもそもこの頃まだ生まれてない、という方も多いですよね。

現地から持ってきたパソコンだろう?いえ、違います。
たしかに、30何年も前のものにしては新しく見えるでしょう。

これ、実はニセモノです。外見は1996年製ですが、当時の型に合わせて、こちらで新しく作ってもらったものです。

立ち上げると・・、もちろん昔のOSが立ち上がるんですが・・実は、もうひとつ、今のOSもこっそり仕込んであります。
表向きは分からないようになっています。私たちは「裏OS」って呼んでいました。
裏OSは今どきのOSで、こちらにはDominoサーバーが入っています。
つまりこのパソコンには、古い「表OS」と、現代の「裏OS」の2つが入っていて、別々に動くようになっています。

さてと…、一部期待されてる方もいるかもしれませんが、ドラマとか事件とか冒険とかはなくて、けっこう地味なお話です。
何しろ行ってきたのがこんなオジサンですから。

    たしかに、人の良さげな細い目は、あまりドラマの主役級には向いてなさそう。

    準備段階からお話しし直したいと思います。

    今回の旅でいちばん大変だったのは、もちろん、安全第一、無事に行ってくることです。トラブルなく現地までたどりついて、まあ五体満足で、予定通りに帰ってこれるようにすることです。

    2つ目に、記録を持ち帰ること。要は、ほんとうに行ってきたよ!とみんなにわかって貰える証拠ですね。映像が一番説得力があると考えて、撮影用にビデオカメラも持ってゆきました。これはニセモノではなく当時の機種のまだ使えるものを探して持参しました。

    そしてそれ以外で、チームが一番気を使ったのは、現地滞在中の
    「ばれない、怪しまれない、波風立てない」
    なんです。ここではそのお話をしたいと思っています。

    基本中の基本として、明らかにコチラのものとわかるものはもってゆきません。たとえば今のお金、今の携帯。
    もちろんこんなTシャツも着てゆけません。この手帳もダメですね。

      講師のシャツのエンブレムにも、掲げた手帳の表紙にも「2033」の文字が見える。あからさまに今年のものだから、ということね。

      正面のスクリーンにお札の絵。

    このころの千円札は?・・これ、夏目漱石が描かれていました。野口英世のお札なんか出しちゃダメです。

    イメージ 1

    まあ、着るものや身につけるものは、現地の時代に合わせるとして。そうした、見た目が明らかにおかしいというのさえなければ、まあまあ大丈夫そうには思えますよね。

    でも、見た目の問題だけでなく、もっともっと気を使いました。現地での「ふるまい方」「人との接し方」です。

    たとえこちらから云ったとしても、
    「私の正体は、時の壁をくぐり抜けてやってきた、未来の国からのタイムトラベラーなのだ」とか。
    そんな言い方はしませんけど(笑)、まじめに話したとしても、ふつうは、真に受けて信じはしないですよね。

    ただし、このひとちょっと危ないかも、と、怪しがられ敬遠されます。

    チームでは事前に、少しでも怪しまれそうな言動は、極力つつしもうよ、石橋をたたいてわたるくらい用心に用心を重ねよう、という打ち合わせをしていました。

    そもそも、未来から過去に、人が、ひとりやって来て、何日かを過ごすだけで、現地で変な影響を与えてしまうおそれがないだろうか。
    そもそも過去に行ってしまうこと自体、倫理的にどうなんだろう。
    過去に人類が発明したものの中にも・・例えばクローン生物ですね、そうした発明がなされた時といっしょで、時間を旅することも「神への冒涜」と非難する向きも、ひょっとしたらあるかもしれない。
    過去へ旅して帰ってきたら、そのせいで未来が変わっていた、なんて小説もあります。

    一方で困ったことに、だからといって、「やってはいけない」という規定も法律もどこにもないんですよ。前例がありませんから。せめてしかるべき筋の方に意見だけでも聞いてみようか。でも、警察に聞こうにも、法律家に聞こうにも、はたまたツテがあって政府関係者に聞けたとしても、
    「これこれこんな風にタイムトラベルやります、こんなふうに計画してますけど問題ないですか?」
    たぶん「はあ?」ですよね。
    説明を労してもおそらく信じてもらえなかったでしょうし、信じてもらえたところで、結局のところ判断の基準にすべき前例がありません。

    ということは、ルールやガイドラインができるのは、私たちの企画で、一度過去に行ってきたという、しかるべき前例を作り、実績を見せてからになるだろう、というお話になりました。

    前例は、叩き台でもあります。後年、「最初に行われたアレは、考えの浅い技術屋や・研究者オタクによる暴挙だった、悪しき前例だった」、と後ろ指を指されるようなことが極力無いようにしたい。
    私たちの想像がおよぶ範囲で、過剰といえるくらいに用心するのがちょうどいいだろう、というのが、私たちチームの事前の結論だったんです。

    つづく

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